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『俯瞰』と『投影』の2つの視点からアニメ虹ヶ咲を考える

TVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」が最終回を迎えた。本当に素晴らしいアニメーションであったと思う。これまで僕はTwitterではアニメ虹ヶ咲のことを「萌え〜!!!」などのその場での一過性の感情吐露しかしてこなかった。しかし、それではあまりにもこの素晴らしいアニメーション及びこのアニメーションに関わった全ての方々に申し訳ない気持ちしかない。という訳で、久々の僕の記事はアニメ虹ヶ咲の感想を述べながら物語を考察していくことにする。 

 

高咲侑という視聴者=オタクの分身

アニメ虹ヶ咲の物語を考える上でまず考えなければいけないのが『高咲侑』というキャラのことだ。高咲侑は虹ヶ咲がアニメ化するにあたって既に先行展開していたラブライブ!スクールアイドルフェスティバルALL STARS(以下スクスタ)におけるプレイヤーの分身、通称「あなたちゃん」の代替キャラとして登場した。あなたちゃんはスクスタにおいて声がなく地の文と最低限の台詞を読む所謂ギャルゲーの主人公のような存在である。要はアニメ版あなたちゃん=侑は視聴者の分身ということになる。

ところが、僕のTwitterのTLにおいてこんな意見が散見されていた。

「高咲侑とかいうキャラ、あまりにも萌えキャラになってて俺らの分身として見るには難があるだろ。」

なるほど、一理ある。オタクは萌えキャラではない、当然だ。侑は自分の大好きな物を語る際猛烈な早口になってしまうオタクによくある性質を持っているが、侑は普通に美少女でオタクは美少女ではないので侑=オタク(ここでいうオタクは一視聴者を指す蔑称)にはなり得ない。物凄く頷いてしまった。

高咲侑はあなたちゃんと同じプレイヤーの分身という立ち位置で配役されてはいるが、個のキャラクターが思った以上に立ってしまっている。ここで、別の視点を用いることができる。それは、侑をあなたちゃんのように視聴者自身を投影する視点ではない、キャラの誰にも投影せずあたかもその世界の神のような視点。物語を『俯瞰』する視点だ。

 

俯瞰の視点で高咲侑とスクールアイドル同好会の物語を見る

作品を俯瞰する視点は皆さんも普段よく用いているのではないだろうか。僕自身もアニメを見るときは大体この視点だし、アニメ虹ヶ咲も初見では侑自身を投影することはなかったので、自然とそうなった。

高咲侑に自身を投影しない場合、当たり前だが彼女は登場人物の一人となり、視聴者は彼女らスクールアイドル同好会の行く末を見守ることとなる。優木せつ菜のCHASE!に刺激を受けスクールアイドル同好会の門を叩く侑の姿も、上原歩夢に自身の夢を打ち明ける侑も、挿入歌『夢がここからはじまるよ』から同好会みんなのメッセージを受け取った侑が最後に音楽科の編入試験を受ける姿も、あくまで登場人物の一人の姿として見るということ。

俯瞰の視点は自然とキャラ達について満遍なく思考することができる。同好会の各キャラの当番回、特に5〜8話は侑が直接その回の当番となるキャラにアプローチをすることがなく、自然と俯瞰で見ることになるだろう。ここでの当番回とされる回は各1話で独立して完結する構成となっていて(想いを表情に出せない天王寺璃奈がボードという手段を確立するのも、桜坂しずくが自分自身の内面と向き合い迷いを振り切るのも、その1話で完結する)、一キャラに集中してフォーカスすることで自然と当番のキャラに愛着が湧くように作られているのが見事である。実際僕も回を追うごとに虹ヶ咲のキャラ達がどんどん好きになっていった。物語全体が動いていく10話以降はそれまでの1話完結の構成から一転して、クライマックスまで地続きのシリアス展開になっていく。11話で上原歩夢が突然侑を押し倒した真意も歩夢自身の心情も次の12話にならないと明かされない。12話で侑と歩夢それぞれの特大本質感情暴露特大女性夢約束展開の後はシリアスは一旦打ち止めとなり、13話で目標だったスクールアイドルフェスティバルを開催。途中雨で中断され、止む頃には客はみんな帰ってしまったかと思えばみんな待っていて、最後のライブでスクールアイドルからファンへの、そして侑への感謝とエールを届けられ、侑は夢へと一歩踏み出して感動のエンディングへーーーーー。俯瞰の視点で見た我々は、サクセスストーリーの新たな一歩を踏み出した侑の姿に、EDテーマのNEO SKY, NEO MAP!があたかも侑が編入試験でピアノ演奏しているかのような感覚をおぼえながら、カタルシスを得るのだ。嗚呼、侑ちゃん、本当に、よかったね、、、、、

 

高咲侑に自身を投影する見方

では、前述したもう一つの「高咲侑に自身を投影する」見方を考えていく。侑の視点になるということはスクスタのあなたちゃんとほぼ同じ視点、さらに言えばギャルゲーの主人公に近い視点となる。とは言っても、というか先に言ってしまうとアニメ虹ヶ咲はギャルゲーのような主人公が各女の子を攻略していくような展開にはならない。前述したように、侑が直接関わらなくても自己の葛藤を解決させてしまう子が何人かいるからだ。

物語を動かす『三女神』

逆に、侑が直接働きかけることで自己の葛藤を解決させるキャラも存在する。それは

上原歩

・優木せつ菜

中須かすみ

の三人である。この三人は物語の本筋を動かす役目も担っているため、仰々しいが『三女神』と呼称する。

上原歩夢が物語のキーマンの一人なのは明白だろう。始まりの第1話、第11〜12話での侑とのやりとりも、13話でステージへ向かって侑の手を引くのも、最早ギャルゲーの正ヒロインであるかのような風格である。

優木せつ菜も自身の当番回は勿論、10話で「侑の夢を応援させてほしい」という意思表示、11、12話での歩夢との絡みなどが本筋と大きく関わってくる。せつ菜が歩夢に「始まったのなら、貫くのみです!」と言わなければ物語がバッドエンドになっていた可能性があるので、そういった意味でも女神である。しかし歩夢に一歩踏み出すきっかけ作りをしたり13話での扱いなどを見ると「今回はルートに入らなかったが原作ゲームでは攻略可能なヒロイン」感が強い、気がする。

中須かすみはヒロイン感の強い前述の二人とは若干立ち位置が異なる、それでいて何かしらの言動、行動が物語を動かす、そんな役割を感じた。侑に助言される=フラグが立つ前から同好会復活のために表札を奪還しようと生徒会室に忍び込むほどの行動力があるため、とてもイレギュラーである(褒めている)。とはいえ、序盤から侑に懐いているところや、それでいて13話で「かっ、かすみんだって先輩のために色々してあげるんですからね!」と発言していることから侑に表立った好意を持っていることから、アニメにおけるヒロインの要素は十分に持ち合わせていると言える。きっと攻略対象だろう。そもそもかすみのように「口が立つ」タイプのキャラは自然と展開を動かすのに重用されがちである。まあ璃奈のような口数の少ないキャラよりは適任だというのは素人目でもわかることであるが。

アニメ虹ヶ咲は上原歩夢ルートというよりオーラスエンディングルート

ここまで三人のヒロインという概念を考えてきたが、アニメ虹ヶ咲はこの中のどのヒロインのルートでもなく、泣きゲー系のギャルゲーとかにありがちな最後に攻略可能ルート、オーラスエンディングのルートに近い。終盤で歩夢がガッツリ関わってくるものの別に歩夢と結ばれるわけではない。スクールアイドルフェスティバルに尽力した侑が最後には同好会のみんなからの感謝と夢への一歩を踏み出すためのエールが込められた「夢がここからはじまるよ」を聴いたことで勇気をもらう展開はグランドエンディングのそれである。しかもその曲は、12話で歩夢の前で「曲作りをしてみようと思ったんだけど」とピアノで弾いてみせた曲と同じイントロのメロディで...

ギャルゲーないしそれに準ずるアドベンチャーゲームにおいて最後のオーラスエンディングに到達した時は自然と満足感に浸るものである。それは最後まで読み切ったという達成感からくるものもあるが、一番のところはシナリオ自体が物語を締め括るに相応しいものであることが大きいだろう。アニメ虹ヶ咲はどうかとなると、侑=自分自身が作曲していた曲に仲間が自分に勇気を与える為の歌詞をつけて大観衆の前で歌うという展開、計り知れない満足感で満たされることだろう。

 『10人目』高咲侑というキャラクターのバランス

僕がここまでで挙げた『俯瞰』と『投影』はあくまで僕の個人的見解によるものであるし、他にも色んな見方があっていいと思う。それだけの見方に自由度が高いのも、高咲侑のキャラクター性によるものが大きい。自分自身を侑として見ず、物語の登場人物の一人として見ることができるよう特徴的に個性付けがされている。が、個性を強くし過ぎないことで視聴者が投影できる余地を持たせている、という絶妙なバランスがとても良い。また、侑の声を演じる矢野妃菜喜(敬称略)の声も、侑というキャラにバランスを与えている。

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この記事において矢野妃菜喜は「スクールアイドルではないので、あまり可愛くならないように、少し少年ぽくなるようには意識していました。「なんでスクールアイドルにならないんだろう」って思わせない声にするというか。」と述べているが、侑がスクールアイドルにならないことを視聴者に意識させる為の声が結果的に「スクールアイドルになるほどの強い個性はなく、それでいて没個性になり過ぎないキャラクター性」をとても見事なバランスで演じきっていたと感じた。ここまで想定されてキャスティングされていたとしたら、さすがに頭が下がる。

一キャラクターとして虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の10人目のメンバーとして見ることもオタクの投影にもなる高咲侑のこの絶妙なバランスは、転じて「グループの10人目はファン」というコンセプトを代々継承してきたラブライブ!シリーズにおける一つの完成した形なのではないかと思うのは少し軽率だろうか。

 まとめ

ほとんど高咲侑のことばかり書くことになってしまったので次は他のキャラのこととか書きたいです、時間があれば。